温度差(コミュニケーションギャップ)

人は人それぞれであって、人によってものごとの捕らえ方や対人関係の距離の置き方について温度差がある。

温度差が違う相手は受け入れがたいし、TPOをわきまえないで、いきなり相手の懐に飛び込んでグサりとやるようなこと、
もしくは逆鱗に触れて地雷を踏むようなこと、そういうようなことに対して無神経であるというようなことは社会人としては失格なのであるし、
当然、そのような人は自然と孤立していく。

インターネットというコミュケーションの手段というのは、多くの初心者にとってはおっかなびっくりなところなのだろうけど、
慣れてくれば、電話や手紙と同じくらいにポピュラーのものなのである。
 10年くらい前までは電子メールを使っているというだけでPCおたくみたいに思われていたものが、今は中学生も普通に使う時代である。
そのことを思えば、インターネットという道具に対して、何か奇特なような接し方をしていたのでは、
初心者と使い慣れた人との間の温度差を埋めることはできない。

人はなんでコミュケーションするのだろうという潜在的な理由までここで述べるつもりはないけど、
コミュニケーションの手段でインターネットというのは方法のひとつであるというちゃんとした認識。 それぞれの手段にどういうメリット(例.
掲示板を使って多数の人間と知識の共有)があり、どういうデメリット(例.インスタントメッセージは確実には届かない)があるか、
それをちゃんと理解してないとちゃんとしたコミュケーションは取れないのである。

それともうひとつは匿名性のコミュケーションに関する問題が存在する。 それゆえにその本質を理解してない人との間で摩擦が起きる。
 表現の自由と他人の権利の侵害に関する問題、匿名の善意の問題、あげていけばきりがない。

インターネットはコミュケーションの手段のひとつであり、通常の社会規範を超えて存在するものではないということ、
それを理解してないと次のような誤解が生じる。

「何でも言うことができる」

「何を言ってもかまわない」

可能性を拡大解釈してしまうこと。

 

「年齢や職業、住んでいるところに関係なくコミュケーションできる手段がある」

「だからため口でいいのだよ」

可能性を勘違いして相手の立場、状態に対する配慮の欠如。

 

決まっていいわけは「ネットだからいいと思った」である。 

すでに僕らにとっては「ネットだから」とかそんなことは、もう「どうでもいいこと」なのである。 コミュケーションの温度差は一度、
自分自身を社会の常識に立ち戻らせ、ネットだからという意識を捨てることから始まるものだと思う。