「教え助けあう」ということ。
ここのところ連続で、インターネットにおけるコミュニケーションのとりかたについて、いろいろと嫌なことがあり、まわりの人を巻き込んで騒がざるを得なかったので、ちょっと説明をしておきます。
まず一つ目は、俺が常日頃から言っている「お互いに教え助け合っていってね」ということに関してです。
本題に入る前に「教え助け合う」というのはどういうことかということを説明しておきます。
一般論です。「教え助け合う」ということは、お互いにわからないところを教えあい、それぞれが理解して自分自身を向上していこうということです。 当たり前ですね。
では、インターネットを使って「教え助け合う」ということを行う場合、どういうメリットがあるでしょうか?
インターネットを使うと同時に何人もが掲示板やチャットなどを使って話しに加わることができます。お互いに理解してないところを指摘し、理解してない内容を補完し合え、結果として理解度が向上するというところがあります。
もうひとつは、そういった内容が掲示板などで積み重なっていくと、そのことに関するサマリーができあがり、後から学習する人の手助けとなるということです。
最近ではwikiなどを使って、かなり自由度が高いサマリーを作れる仕組みもあるのでインターネットを使って「教え助け合う」ということは意識的に使えば使うほどメリットがでてきます。
さて本題です。
問題は「教え助けあう」というところを勘違いしたところにあります。
マンツーマンで教えるのは「教え助け合う」というところになるのか、ということですね。
たしかにマンツーマンで教えてあげるのは非常に理解度が高いかもしれない。 けどそれは一般の世の中のできことです。
インターネットでも上級者がつきっきりで教えてあげれば、それはよいにこしたことはない。
ありがちなことに初心者に毛を生えた程度の人ほど、自分より下の入門者に手取り足取り教えたがります。
問題はもしコミュニティーという集団の中でそれを行われたら、間違った知識の伝播、サマリーができあがらない等々。 結果として集団全体にはマイナスの効果しか生まれないということです。メリットがないことは一目瞭然です。
上級者の人は、だれがどの程度までのスキルを持っているのかってをちゃんと掴んでいるものなので、掲示板やパブリックなやりとりで「教え合っている風景」を眺めることができれば間違いを正してあげることも、初心者が次に進む道をちゃんと示すということで間接的に教えることができるんですね。
教えたがりや君はそれをぶちこわします。
ま〓そういうことがあったので、その件に関して一対一で教えるのではなくて、見えるところでやってねと伝えました。
(実際にあとで教えられた本人に聞いたところ肝心なところをちゃんと理解してなかったので。。。)
それがことのいきさつです。
問題はそれで理解してくれればよかったのだけど、、、
「ひとにはひとにあった教え方がある」と開き直りました。
たしかにそうです。 しかしそれは一般論であると同時に 手取り足取り教えるレベルの問題をやってるのじゃないという認識が欠落しています。 当然です。 教えてる本人自身まわりが見えてない。 自分がどのレベルにいるか掴んでないですからね。
そしてその点を指摘しました。
たまたま木村剛さんのBLOGを見ていたら面白いことが書いてあったので引用させてもらいます。
BLOGに関する議論について見解なんですが、まさしくそのとおりです。
(1)自分と異なる意見を排除せず、建設的な批判であれば受け容れる度量をもつこと、
(2)批判する場合は、説得的な論拠を示すほか、代替案を示すなど建設的に行うこと、
(3)意見と人格を同一視することなく、いつ如何なる場合も人格攻撃を行わないこと、
先ほどまでの話は「議論」という形で進んでいました。
そこから先は一緒にいた人も見てた思うので詳しく書くのもばからしい内容なので簡単に書くけど
「俺の悪いところを言ってあげようか?」
「自分ができると思ってだれでもできると思っている」
はい、人格攻撃ですね。(3)該当です。
あげくに
「そうとうカッカきてるようだな」
すでに議論じゃないですね。 喧嘩売ってます。
議論の内容が自分の主張と違うということに対して、一般論への議論のすり替え、あげくに人格攻撃。
他に仲良くしてた人もいるんだろうけど、申し訳ないですが、限度を超えた暴言がすぎます。
というわけなので、彼には「もうここにはこないでくれ」と伝えました。
これが、ことのいきさつです。
もう一個の話は次のエントリーで。