ビジョンの明確化の必要性(覚え書き)

「なにかものごとをやり遂げようとするときに最終的に何目的とするのか明確になっていると段階的な計画がたてやすい。

これが明確になっていないと、なんのために今やっていることをするのか、
中間目標をどのレベルで持てばいいのかはっきりせず挫折しやすくなる。

仕事や習い事においても最終目標が定まってなくただ単にスタートを切ると途中のハードルの高さが高すぎたり、
やっていることの意味合いがつかめず、結果として不毛な努力を続けるだけとなってしまう。

自分自身はどのようなビジョンを持っているかを明確にすることはもちろんだが、
共同で作業をする場合においてはいかに相手方とビジョンを共有するか、
つまり目的意識を持たせるにはどうするかということがかなり重要なことになってくる。

共同作業において目的意識を共有できない場合、たんに押し付けられてやらされているだけということになったり、
またそれを相手が感じたらコミュケーション自体がなりたたなくなってしまう。

話は変るが、目的意識がはっきりしてる人というのは、今やっていることが次のステップに進むための重要であるということ、
もしくは全体にとって不可欠なことだと理解しているので、たとえ初歩的なことでもしっかりと取り組んでいて非常に熟練が早いし、勤勉だ。
 

なにかを始めるときには、まずビジョンを明確にし、それを共有すること、
やっている自分のビジョンを他人に理解してもらうことをまずしなければならない。」

と覚え書き終わり。 

(ひとりごと)

自分のビジョンに向かっていくことはすごくよいことなのだけど、そのためにはまわりが理解してくれているという必要があるよね。

自分でなんでもできる人というのは、ほんとに他人の力を借りずに自分でなんでもやってしまうのだけど、
実はそれを支えてくれている人がいるということに気がついていない場合もある。 職場の同僚だったり、家庭の妻だったり、恋人だったり、
本来、彼がやっていることを側面から支えてくれているという意味ね。

例えば恋人だったりしたら彼がそのことに打ち込んでいるということに対して理解して、
おそらくやさしく見守ってくれているはずなんだよね。
 それは自分がほんとうはもっと彼氏からもっと自分のことを見て欲しいと思っているかもしれないのだけど、
彼のことを思うが故にやさしく見守っているということなんだと思う。 相手に対する思いやりを持っているということ。
 そういう相手がいるということだけでうらやましい(笑

わき目もふらずに打ち込んでいる人というのは、その相手の思いやりに気づかないことが怏々としてある。
 気づいているのかもしれないけど、自分のビジョンを優先しているのかもしれない。しかし、それはきっと二人にとって不幸なことだと思う。

(いろいろとあって今となってちゃんとわかることなのだけど) 独りよがりはよくない。
 人間にはお互いに相手の思いやりをちゃんと受け入れる必要があると思う。 もし相手が自分のことを思って見守ってくれているなら、
相手がほんとに相手に対して思っていることを、自分から理解してしてあげること。 それが相手の思いやりに対する返答だと思う。

人生の中でそのときそうしておけばよかったという機会はかなりあると思うけど、その時それができなかったのは、
きっとその時の自分が弱虫だったからなんだと思う。 結局 自分の視野がせますぎた。 ものごとにとらわれ過ぎていてそういった
「他人の思いやり」に気づいていなかった。

スタートが目的とならないように今を大切に。