coComment - 終わりの始まり(mixiの終焉) その1

さてcoCommentの話です。



とその前に以前に書いたエントリーみたいに前置きが長いので、その部分を副題にしてみました。と同時に書いているうちにこのエントリー自体も長くなってきたので今回は「その1」です。



クローズドのソーシャルネットワークシステムとは何か? 初期のSNSの発展段階ではブロガーが表向きのコメントなどをやりとりするだけではなく、もっと本音に近いところを仲良くなった仲間内などで自由に発言したりする場所があればいいねというようなことが言われて、SNSがそれに適したシステムであるということで発展していったかと記憶しています。 その過程で日本ではGreemixiをはじめとしてクローズドで招待制のソーシャルネットワークシステムが発展してきました。 そしてクローズドで招待制であることが=ソーシャルネットワークシステムなんだという捉え方が根付いてしまったように思います。 



以前のエントリーflickrを引き合いに出して書いたように、実は招待制であるとかクローズドであるかというのはソーシャルネットワークにとってはあまり関係のないことです。気づいてる人は最初から気づいていたはずですが、「招待制」「クローズド」というのは単なる差別化のためのアイテムに過ぎないのです。 差別化されてるために人はあこがれ、そこの中で何が行われているか興味を持つ。どちらかというとユーザー獲得のための誘因としての要素が強いでしょう。 



ところがmixiは肥大化しすぎました。500万人以上のユーザーというのは、すでに招待性やクローズドなシステムで差別化するという意義は失われていると見てよいでしょう。 誰でもmixiをやっている状態になったということです。ちょっとまわりに聞いてみると、今までインターネットのこのようなコミュニティーに縁がなかったような人たちまでがかなりの確率で加入しています。



これだけのユーザーがクローズドな「世界」で囲われているということはどういうことでしょうか? クローズドであるが故の弊害が出てきているということです。いくつかの弊害があると思いますが、最大の問題は、最近になって新しく増えたmixiのユーザー達(その多くはインターネット初心者がほとんどだと思います)とmixiの外側の世界の間に見えない溝が形成されているということでしょう。そのギャズムは徐々に大きくなってきています。 

mixiにおいて「マイミク」の日記の更新を知るということはすごく簡単です。新しく日記が更新されればすぐにわかります。コメントを書いておいたものはすぐに自分のmixi上のホームページで知ることができます。利用者にとっては便利で簡単な仕組みが提供されています。



クローズドであり守られた社交性が提供されていて、多くの人はそれに満足しています。mixiというシステムが悪いということではありません。が、しかし保護されたコミュケーションの中では、人は学習する能力と自分で問題を解決する能力を失います。これを『mixi鎖国』とでも呼びましょうか? そして外の世界との大きな溝となります。 



また、「mixi疲れ」なんて言葉もありますが、多くのユーザーはふつうに日記を書いてマイミクとコメントのやりとりに楽しく明け暮れていることでしょう。 すこし前に、ユーザーにさらなる満足を与えるためにmixi側からはニュースや聞いている音楽を共有できるような「おもちゃ」が与えられました。しばらくしたらもっと個人の趣向にあわせて変化するニュースや広告が提供されるかもしれません。YouTubeライクな別の「おもちゃ」が与えられるかもしれません。 所属してるコミュティーや人のつながり日記の内容をデータマイニングしてそれにあった情報を提供すれば、顧客満足度はもっと向上するでしょう。きっと彼らは与えられたものに満足するでしょう。たとえその情報が操作されているようなことがあっても、それを疑うことはないでしょう。 もしそれを疑っても「システムのアルゴリズムによってその人にあったように適正に非人為的に計算されて提供されている」ものなのでと説明されても返す言葉を持たないでしょう。(このあたりもいずれGoogle話で書こう) 疑うだけの知恵と返す言葉がある人はきっとmixiの中からとっくに出てしまっているので。。



mixiの中でも有意義なコミュティなどはあります。ただこれだけの規模になってくると内部で結合したセルは外を目指して飛び出していくようになります。すでにそのような外部に飛び出した専門的だったりもっとプライベートなSNSはかなり見られます。 以前niftyにいた頃もこのような動きはありました。niftyが全盛期は200万人くらいのユーザーがいたかと記憶してますが、ユーザー数が最大になる少し前の頃からその内部ではフォーラムの中から有志が集まりPatioというユーザーグループがかなりたくさん作られるようになってました。そしてそれらはインターネットの波にのって外部でホームページを作成してそこを活動の拠点にするなど、どんどん外へ飛び出して行きました。当時のniftyの連中はかなり大人のネットワーカーが揃ってました。外側に出てもきちんと大人の態度と付き合いでインターネット初期の文化にかかわっていったように思います。しかしmixiのユーザー層はどうでしょうか? このままmixiが大きくなり、やがてそれが衰退し、彼らがmixiから外の世界へ出たときに、彼らはどう思われるのか? 学習能力、自分で探すことを知らない彼らがどうなるか? まだ先のことだろうけどすでにmixiは終焉に向かっていると俺は感じています。 集合し内部結合し分裂し離散する流れは昔から変わりません。


(つづく)


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